羞恥は人間において罪の内的限界のしるしである。
まさに赤面したところから、その人のより高貴な自我が始まる。
自意識を持つと、人は恥ずかしいという感情が湧くようになる。
そして、自意識のレベルが上がると、誰に対して恥ずかしいのかが変わってくる。
こんなことをして恥ずかしいという感情は、罪の抑止になる。
世間様に顔向けができないと昔の人は良く言ったものだが、私たちは、恥ずかしいという感情で自分の感情的な行動を抑止するのです。
だから、この恥ずかしいという感情が湧かない限り、私たちはなかなか社会構成メンバーにはなれないのです。
恥ずかしいという感情は、この自分が誰かに対して恥ずかしいということだから、まず自分の責任を自覚できること、そして、自分以外の人間を慮ることが、必要だからです。
恥ずかしいという感情は、高貴な自我になるステップなのです。
私たちは、実はこの感情が最近非常に少なくなってきたことに目の当たりにしているはずです。
電車の中で堂々と化粧をする女性、道端にしゃがみ込んで何かを食べている人たち、歩きながら、人前で堂々と大きな口を開けて、パンをほおばる若者。
何かが違う方向へ行っているような感じするが、どうだろうか。 ☆(Koga)