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強い人間 16.Dec.2017

弱い人こそ薄情である。
本当の優しさは強い人にしか期待できない。
弱い人というのは、自分自身をいつも気にしている人です。
いつも自分を守ろうといろいろな所に神経を配らせ、バリケードを張って、必死に自分を守ろうとする。
だから、自分に関係のないことには、ほとんど無頓着です。
他人がどうなろうと全く関係はない。
しかし、強い人は、自分を守ろうとしないから、というか、自分が傷ついてもあまり大きな痛手にならないから、他人に対して、オープンでいられる。
自分を気にするよりも、自分のやるべきことや他人に関心がある。
だから、他人に対して配慮ある行動がとれるのです。
優しい人間になりたいなら、小さな自分を守らないことです。
それよりは、他人に心を開き、他人に関心を示して、生きていこうとすることです。
強い人間はそういう人間を言うのです。

今日の私はライブ出演です。

ギター4曲、ドラム2曲を歌い上げます。

間違いがないように頑張ろう。

☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

幸福になる資格 15.Dec.2017

道徳論は、我々はどうすれば自分を幸福にするかということについての教えではなくて、どうすれば幸福を受けるに値するようになるべきであるかということについての教えです。
人間の態度を明確に指摘おります。
幸福になるためには、幸福になる資格を有する。
幸福になる資格とは、幸福が自分に相応しいような自分になることを言います。
だから、幸福になりたいと思って、色々なことを行っても、その中に自分が幸福になるためだけに行うような行為、つまり、他人を顧みないで自分の利益=幸福だけにフォーカスした行為で幸福を追求しても、決して幸福にはなれない。
それは、幸福になる資格が自分に与えられないからです。
道徳というものは、他人と自分が共によりよく生活していくための実践です。
いかに他人に迷惑をかけずに自分の行為を遂行していくのか、そして、いかに他人の利益を損なわずに、また他人の利益に寄与しながら自分の利益を追求していくのか、ということを考えるのが、道徳論です。
私たちは、自分が幸福を受けるに値するように生きているだろうか。
このことをもう一度考えてみよう。
自分のことしか眼中にないとしたら、幸福もまた全く眼中にはないということです。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

他人を見る 14.Dec.2017

他者は鏡である。
私たちは、一人ひとり、単独に存在してはいない。
人間は、誰かと関係しながら、存在している。
だから、自分が何かをすれば、必ず誰かが影響を受ける。
例えば、お店で店員に嫌な対応をされれば、私たちは、誰でも不愉快になり、その店員に対して悪い感情を抱き、そして、その店員に悪い態度を取ってしまう。
いや、悪い態度とまでは言えないにしても、いつもとは違う態度になってしまう。
この事例を逆にしても同じです。
私たちが、悪い態度で店に入ってくれば、店員は、私たちを見て、私たちの態度と同じような態度や感情で私たちを迎えることだろう。
私たちは、相互作用的な存在として、一人ひとりが生きているのです。
「鏡」とは、そういうことです。
自分の感情や行動を写す鏡が他者の感情や行動なのです。
だから、他人を見て、自分の態度を振り返ろう。
嫌な顔を他人がするのは、私がそうさせているのです。
他人が自分を写す鏡なのです。
他人の反応をしっかり見ていこう。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

孤独な決断 13.Dec.2017

他人に依存しないのは、ごく少数の人たちのみにかかわることで、それは強者の特権である。
人間は、他人に依存しない限り生きてはいけない。
本質的には、人間は依存関係の中で生きていられるのです。
だから、「他人に依存しない」というのは、自分の決断だったり、自分の意志に関わることです。
孤独な決断を自覚的に出来る人間は、強い人間なのです。
自分の責任で決断し、実行しようとする人間は自律的な存在になろうとしているのです。
そういう人間を、「強者」と言います。
私たちにも、必ず孤独な決断をする時が来る。
その時に逃げないことです。
自分で引き受けることです。
弱さを自覚しながら、強さを発揮することです。
それが、強者なのです。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

夢は空想 12.Dec.2017

人生とは不十分な前提から十分な結論を引き出す技術である。
夢は、現実にはないものを現実にするために、最初に思う空想です。
だから、その空想には、何の根拠もない。
しかし、人生は、その何の根拠もない夢を持つことから始まって、その夢が現実になるように歩いていくものです。
何かを成し遂げようと思ったら、不十分な前提を承知で、その不十分な前提から、兎に角スタートを切ることです。
それがなければ多分、夢なんか、何も実現はしないだろう。
なぜなら、夢は空想なのだから。
不十分な前提をしっかりした結果にしていくこと、これが、夢の実現過程です。
そのために私たちは、歩むのです。
人生の様々な経験が、自分の夢を現実化していく知恵になるのです。
人生とは、そういうものです。
だから、臆病にならずに何でも経験することです。
経験するところから、私たちは、学べるのだから。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

夢は空想 12.Dec.2017

人生とは不十分な前提から十分な結論を引き出す技術である。
夢は、現実にはないものを現実にするために、最初に思う空想です。
だから、その空想には、何の根拠もない。
しかし、人生は、その何の根拠もない夢を持つことから始まって、その夢が現実になるように歩いていくものです。
何かを成し遂げようと思ったら、不十分な前提を承知で、その不十分な前提から、兎に角スタートを切ることです。
それがなければ多分、夢なんか、何も実現はしないだろう。
なぜなら、夢は空想なのだから。
不十分な前提をしっかりした結果にしていくこと、これが、夢の実現過程です。
そのために私たちは、歩むのです。
人生の様々な経験が、自分の夢を現実化していく知恵になるのです。
人生とは、そういうものです。
だから、臆病にならずに何でも経験することです。
経験するところから、私たちは、学べるのだから。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

自分の生活 11.Dec.2017

何の苦労もなしに手に入った法などというものは、コウノトリが持ってきた赤ん坊のようなものです。
世間では、「平和と水はタダではない」と言ういい方があるが、平和も水もタダで享受しているわけではない。
今から70年前に大きな犠牲を払って平和を築き、脈々と続いている治水によって、世界のどこよりも綺麗で美味しい水を飲んでいる。
すべて苦労をしながら、私たちは、私たちの権利を勝ち取ってきたのです。
だから、今後も様々な状況に置いて、私たちは、苦労をしながら、自分の生存権を確保し、文化的な生活の向上を目指して、色々な権利を勝ち取っていくはずです。
私たちは、自分の生活を必死に守りながら生きている。
昨今の生活水準の高さが、ついついそういう努力を忘れさせてしまうけれども、このことを私たちは、忘れないようにしたい。
コウノトリが運んでくるような気楽な権利などないのです。
私たちは、いつも戦い続けているのです。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

今日と言う日 10.Dec.2017

いいえ昨日はありません 今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません 今日を打つのは今日の時計
昨日のことを後悔しても、昨日はもはや存在しない。
存在しないものを悔やんでみても、決して存在するようにはならない。
昨日という時間は、実は消えたのではない。
自分の中であいまいに蓄積されたのです。
だから、取り出すことはできないのです。
しかし、今日はどうか。
今日は、まだ消えてはいない。
今日は、まだ自分の目の前にある。
だから、今何をするかで今日は自分の中で明確に蓄積される。
明確に蓄積されたものは、取り出し可能だ。明確だからです。
私たちは、意識的に今日を生きよう。
今日何を思って、何を行って、何を感じるのかを明確にしよう。
今日という日を明確に蓄積させるために。
そうしないと昨日のように、あいまいに過ぎていくだけになるのです。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

努力だけが人生 9.Dec.2017

身分不相応な幸運や正当な理由のない授かりものなどというものは、天が人を釣り上げる甘い餌であるか、さもなければ人の世の落とし穴である。
私たちは、いつも「天から何か降ってこないかなぁ」と期待している。
例えば、「宝くじが当たらないかなぁ」とか、「偶然美女と遭遇して、友達になれないかなぁ」とか、「大富豪と友達になって、良い思いをしたいなぁ」とか、ありもしない期待をついつい空想してしまう。
だから、身分不相応な幸運や、たまたま出会った絶好のチャンスに舞い上がってしまう。
「何かついてる!」と思って、その幸運に簡単に乗ってしまう。
が、しかし、そんなに人生は甘くない。
何かあるのです。
自分の努力に対していわれのない幸運は、それこそ、落とし穴なのです。
だから、私たちは、偶然に期待して、今を疎かにしないことです。
努力が実るまで待つことです。
努力だけが、人生です。
そう思いながら、コツコツ進むことしか安全な道はない。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産

気づきの人生 8.Dec.2017

最大の過ちは、どんな過ちを見ても少しも気づかぬことである。
世間には、鈍感な人がいる。
自分の失敗を失敗だと思っていないのか、失敗だと認めたくないのか、はたまた失敗を無視しているのか、それは、自分の失敗に対して無頓着な人がいる。
どうしてそうなるのか。色々な理由がその人たちにもあるだろうが、一番多いのは、多分、自分を守りたいがために、失敗に対して心を閉ざしてしまうのだろう。
そんなことをしていたら、次の失敗を準備することになってしまうのに・・・。
人間が何かに本当に気が付く時は、自分が傷つく時です。
傷ついて初めて気が付くのです。
だから、自分の心を閉ざしてしまえば、一生気づかないことになってしまう。
そうしたら、自分を守ることにはならない。
人間は年相応になってこそ、自分を守れるのだから。
傷ついてでも気づくことです。
気づきの多い人生は、幸せな人生なのだから。 ☆(T.Koga)長崎市の三山不動産