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二律背反 22.Feb.2018

理想のために殺さなければならなくなったら、理想は死ぬ。
この事は、こう言い換えても同じです。
「平和のために殺さなければならなくなったら、平和は死ぬ」と。
私たちの人生は、二律背反の連続です。
これをやったらあれが出来なくなり、これもあれもしたいが、その二つは、同時に出来ないし、してしまうと上手くいかなくなる。
そういう二つのことに挟まれて生きている。
理想を追求するが、現実にぶつかって、理想とは違う方法で、理想を実現しなければならなくなる時がある。
そんな時に、どうしたらよいのか。
少なくとも理想と矛盾する方法だけは、拒否して前に進めるようにするしかない。
これは、平和の追求でも同じことです。
平和を実現したければ、平和的な手段以外にはないのです。
そう決めて、平和の追求をするしかない。
戦争状態を招くような事態にならないように、文化的交流、経済的交流、資源的交流をするしかないのです。
覚えておこう、二律背反状態になったら、妥協する地点は、当初求めていた物の側に必ず設定しなければならないということを。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

器の大きさ 21.Feb.2018

人間は偉大になればなるほど、怒りのさなかにあっても、それだけ和解を忘れない。
そして高貴な心ばえは、おのずから穏便を求めるものです。
人間が怒る時は、どんな時だろう。
それは、自分の思いや意見や考えが、目の前の人間に理解してもらえない場合、それも理を尽くして相手に説いて、それでも理解してもらえない場合に、人間は怒りを感じるのではないだろうか。
それは実は、相手が自分の存在を無視しているということだからです。
裏切られるのも、実は自分の存在を相手が無視するから裏切ってしまうのです。
つまり、怒りとは自分の存在に対する承認のなさに感じる負の感情なのです。
そんな怒りを人間はどう処理するのか。
一つは、現実的な仕方で処理をする。
もう一つは、感情的な仕方で処理をする。
前者は、相手との和解において処理をするし、後者は相手の存在を無視するという形で処理をするのです。
つまり、本質的に仲直りをするか表面的に仲直りをするということなのです。
人間の器が大きくなればなるほど、人間は、本質的なことを求める。
それが、和解ということです。
人間関係の中で色々な感情が生まれるが、器の大きい人間は、必ず相手との共存を考えるものです。
それが器の大きさなのです。
自分しか入らない器か、相手も入れる器か、なのです。
和解とは、相手と自分の共通項の確認です。
それが出来てこそ、皆で大きなことができるのです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

問うこと 20.Feb.2018

思考から生まれ、思考に問いかけるもののみが、全人類のための精神的な力となりうる。

考え抜くこと、これは、問い続けることです。

考えて出た答えに対してまた問うこと、この作業を繰り返す時、思考はどんどん鍛えられて、それこそ皆のための思考となるはずです。
しかし、私たちはこの思考の作業に慣れていない。
考えて答えが出て、そしてすぐに終わってしまう。
答えが出たら、それでおしまいにしてしまう。
出した答えがあっているかどうかの問いをしないのです。
この問いをすることです。
この手間暇を一つかけることです。
思考するとは、答えを出すことではない。
問うことです。
問うことを止めてはいけない。
答えが出たらそれでおしまいにしないで、そこから問うことです。
ここに思考があるのです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

時間が経てば 19.Feb.2018

時間は時間から生まれた子どもたちを飲み込む。
悩みも時間の子であって、悩みが永遠を僭称するのは、まやかしにすぎない。
時間が全てを洗い流してくれます。
だから、どんなに深い悩み事も、どんなに辛く悲しい出来事も、時間が経てば、その全ては和らいで、小さな悩み事になり、ちょっと悲しい出来事になっていく。
そして最後には、そんなことで悩んでいたな、こんな悲しい出来事があったな、と過去について笑って言えるようになるのです。
時間は、全てを調整してくれる、人生における妙薬なのです。
だから、今だけに囚われてはいけない。
今は、過去があってこその今だし、未来があってこその今なのです。
今の苦しいことは、今だから苦しいのであって、未来までその苦しさが続くわけではないのです。
私たちは今を生きているが、その今は、いつかは過去になっていく今です。
そのことを忘れてはいけない。
黙って耐えるか、もがいて耐えるか、それは自分が決めればよい。
しかし、必ず今は過ぎていく。
悲しみも苦しみも共に過去になっていくものです。
そのことだけは忘れてはいけない。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

勇気と根気 18.Feb.2018

人は他人に無責任な2つの言葉を用意しています。
たとえば、なにかに懸命に取り組んでいる人に対して、
「彼は脇目も振らず、集中力のある人だ」
「彼は視野が狭い人だ。もっと広い視野を持たせなくては」
と、2つの言い方があります。
同じように、
「彼は頼んだことをなかなかしないルーズな人だ」
「彼はよく考え慎重で賢明な人だ」とも言えます。
この正反対の評価の分かれ目は、その時の好き嫌いの感情です。
また、よかれと思った行動が、
「出過ぎている」
「余計なことをしてくれた」
などと言われてしまうこともよくあります。
しかし、そんなことなら人に善意を示すことなど馬鹿らしいと、思い止めてしまうのでは救いがありません。
内と外で善意の評価が180度違うことがあったとしても、善は善、悪はどこまでいっても悪であることに変わりはないのです。
ゆえに自分の信じるところに従って、
善を行う勇気と根気が求められます。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

したたかな人間 17.Feb.2018

実践だけで生きてきた人は、どうしても、したたかな人間になりやすい傾向があります。
「オレはこんな修羅場をくぐり抜けてきた」
「オレは社会の表も裏も知り尽くしている」
「いまでは、怖いものが何もない」
これでは、せっかく積み重ねてきた体験も水の泡。
表面的には、強くなったように見えても、体験がひとつも生かさせていないからです。
たとえどんな険しい体験をしてきたとしても、したたかな人間になってはいけません。
「オレはこんな体験をしてきたから、少々のことではびくともしないぞ」
というような強がりを、勲章にしているような人は最低の人間です。
人間はいくつになっても、純粋でなければいけません。
小さなことに対しても、傷つきやすい感受性豊かな人間でなければいけません。
そういう人間だけが、周囲の人を温かく包み込む資格があります。
世の中を憂鬱(ゆううつ)にし、暗くしているのは、このしたたかな人間です。 ☆
(T.Koga)長崎市の三山不動産

コミュニケーション 16.Feb.2018

一生涯ひとりで生きるとしたら、われわれはすべての被造物のうちもっともみじめな存在となるでしょう。
人間は、理由がなければ、生まれてこない。
人間が生まれるのは、人間と人間の交流が必ずあったからです。
その交流の結果として、私たちは、生を受ける。
だから人間は基本的に、生まれた瞬間から一人ではない。
必ず、自分の傍に産んでくれた人間がいる。
または、そういう痕跡がある。
だから、生涯を一人で生きることはないのだが、物心ついた時から、一人だったとすれば、それは、非常に辛い人生です。
誰ともコミュニケーションが取れないから、自分の存在を自分以外の人間に認めてもらうことができない。
とすれば、存在しているのかどうなのか、多分、その確証が持てない。
ここが、辛いところです。
だから、私たちは必ず、他人とコミュニケーションを取ることです。
コミュニケーションが取れれば、それだけで私たちの苦しみは和らいでいくはずです。
一人ではない。
必ず誰かがどこかで自分を見てくれているのだから。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

無意識の世界 15.Feb.2018

もし、われわれを無意識の願望の動きをもとにして判断するならば、われわれ自身もまた、まさしく原始人のごとく人殺しの群れである。
無意識が言葉の真の意味で無なのであれば、素晴らしい事だと私は思う。
ところで、私たちは、私たち自身をどうコントロールしているのだろうか。
私は、無意識の願望には、もう一つ違う側面があるのではないかと思っている。
つまり、人殺しの側面と社会的な調和の側面が人間の心底にはあって、この二つの側面が拮抗しながら、人間は生きているのではないかということです。
だから、たまにこの拮抗が崩れて、人を本当に殺したり、自分を抑制しすぎて、自分自身が弱ったりするのです。
すべて、自分の内から湧き出たエネルギーが、そうさせるのです。
私たちの中に住んでいる悪魔と天使が、日々無意識の世界で戦っているのです。
そして、それは勝負のつかない戦いなのです。
その戦いの中で私たちは死ぬまで生きていくことになるのです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

勇気 14.Feb.2018

迷信は、恐怖と弱々しさと無知の産物である。
迷信、これを現代風に言えば、前例とか慣例ということになろうか。
前例や慣例を信じて疑わない人たちは、失敗の恐怖に怯え、自分自身の弱さと向き合わず、そして将来に対するビジョンがないということを自覚しない人たちです。
前例にこだわる人は、自分の独自の判断で物事を判断して、その判断が誤っていたら、自分が大変なことになると思っているから、前例を踏襲しようとするのです。
「前例に従ったまでだ!」が、言い訳としてまかり通ると思っているのです。
そして、そんな人は失敗する勇気のない人だから、実は非常に弱い人なのです。
その弱さと向き合うことなく、虚勢を張っているから、性質が悪い。
また、そういう人は、将来展望がないから、前例を超えることはない。
決まりきった結果だけで満足なのです。
だから前例に従ってしまうだけなのです。
私たちは、必要とあらば、前例や慣例を破る勇気を持つことです。
前例や慣例に従うだけなら、自分は必要ない。
自分が判断するのです。
その判断が未来を切り開いていくのだから、前例に従う勇気も前例を破る勇気も共に持つことです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産

極める 13.Feb.2018

人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。

好きにならないのがむしろ不思議です。

人間は、毎日同じ人と会っていたら、その人を必ず好きになる。

そんなところがある。

だから、家族愛が生まれるし、郷土愛が生まれる。

人間は、毎日何かを行っていれば、それが習慣化して、それを愛さずにはいられない。 

 反復が人間にとっての喜びになるのです。

まさに、反復こそ、モノを好きになる最高の訓練なのです。

しかし、大概の人は、その反復に嫌気がさして途中でやめてしまう。

もう少し、その反復を続けていれば大好きになっただろう、その手前でやめてしまうのです。

それは、大好きになる前に、飽きるという試練を経験するからです。

まさにその時に、やめてしまうのです。

それは、もったいないことです。

極端になれ! ということです。

そうすれば、大概のものは、好きになる。

好きになれば、必ずそれが楽しくなっていく。

そしてそれは、私たちの経験したことのないどこかに連れて行ってくれるはずです。

徹底的に何かを究めよう。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産