自己自身を選ぶための戦い、その獲得の行為を表す言葉、これが悔い改めである。
私たちは、簡単には中々自分自身の態度を選ぶことが出来ない。
自分自身を中々意識的にコントロールすることが出来ないのです。
それは、自分が自分自身を、客観的に見ることが非常に難しいからです。
何かがないと、それも自分自身の生き方や考え方に、他人や人生から大きな疑問を突き付けられないと、自分自身を客観的に見ようとは思えない。
なにせ、自分の目を中心に世界が見えるからです。
だから、自分をどうにかしようとしている人は、自分自身をコントロールすること、自分自身の態度を選ぶこと、自分自身を確立しようとすることを、克己=自分自身との闘いと思っているのです。
自然と自分が確立することなどないからです。
今までの自分自身の自然さを、乗り越えていこうと必死になっているのです。
私たちは、自分のあるべき姿を明確にしていこう。
あるべき姿を追い求めよう。
そのために、今までの自分と対決することです。
対決を避けては、新しい自分にはなれないのだから。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産