この学校に限らず、他のどの学校においても、学校だけで皆さんの行く手にあるものに対処できる力を完全につけてあげることはできません。
学校が、万能なものではないと昔から知っていたのにも関わらず、私たちは、つい最近まで学校を万能なものだと思って、学校信仰を持っていた。
しかし、その反面学校で習うことは、実社会に出れば、役には立たないものだということもわかっていて、学校を一つの象徴として、その人間の価値を図る物差しにしていた。
しかし学校は、ある意味、色々な副次的な機能を持っていて、社会に対して一定の影響力をいつも発揮していたのです。
ここを私たちは、案外見落としていて、最近は悪者としての学校観をもって、学校の良い機能まで切り捨ててしまう教育改革をしようとしている。
私たちは、一方の考えをそのままうのみにすることなく、色々な視点から物事を見ていかなくてはならない。
学校も同じです。
教育も同じです。
明治期の津田梅子が、見抜いたように、全体の中の一つとして学校を見ることです。
ここを昨今の教育改革論者は、見落としている。
学校を一概に悪者にすることなく、しっかりと考えることです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産