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終戦の日 15.Aug.2024

連合国が1945年7月26日に発表したポツダム宣言に対して、日本政府(鈴木貫太郎内閣)は、鈴木首相、東郷茂徳外相、米内光政海相らは国体護持 (天皇制維持) のみを条件に受諾やむなしと考えていたが、阿南惟幾あなみこれちか陸相ら陸軍は受諾拒否を強く主張し、意見が対立した。
首相は裏面での交渉の継続に期待して、回答を保留することにしたが、軍の強い要求によって態度の表明を迫られ、新聞で 「黙殺」 すると声明を出した。
連合国は 「黙殺」 を受諾拒否と受け取り、アメリカによる広島・長崎への原爆投下、ソ連の対日参戦に踏み切る口実を得た。
ポツダム宣言が 「黙殺」 されたため、8月6日、9日に広島・長崎に原子爆弾が投下され、8日にはソ連が参戦、戦局が一気に悪化した。
日本政府は御前会議 (昭和天皇が参加する最高決定の会議) において激論の末、8月10日午前2時半に、「国体護持」 を条件にポツダム宣言受諾を決定した。
「国体護持」 とは天皇制維持のことで、このまま戦争を続ければソ連の対日参戦により共産主義の影響が及んで天皇制が崩壊することを時の為政者は最も恐れた。 またアメリカ国内の一部に、天皇制擁護の声 (知日派の国務次官グルーは日本に終戦を受け入れさせるには天皇制存続を認め、戦後の再建にもその方がアメリカにとって有利であるとトルーマン大統領に具申していた) があることも情報として得ていた。
東郷茂徳外相らは 「国体護持」 のみを条件としてポツダム宣言受諾を主張したが、阿南惟幾陸軍大臣らは自発的な武装解除、連合軍の本土進駐の回避、戦犯の自主的処罰の3条件を加えることを主張し、無条件降伏に反対した。
鈴木貫太郎首相は最後に昭和天皇の判断、いわゆる 「聖断」 を求め、天皇は外相案を支持して、受諾が決定された。
陸軍の一部には戦争継続を主張してクーデタ決行の準備が進み、緊迫する中、再度御前会議が開かれ、8月14日正午前に天皇の無条件降伏受諾の決断をふたたび仰いで最終的に決定した。
敗戦の詔勅は天皇自ら録音し、翌日放送されることになったが、陸軍の一部将校がそれを阻止しようと放送局を襲うなど混乱した。
クーデタは阿南陸相の自決などで失敗し、予定どうり15日いわゆる玉音放送 (天皇の肉声が放送されたこと) が行われ、戦争は終わった。
日中戦争開始からは15年目、 太平洋戦争からは4年目、第二次世界大戦全体では7年目であった。
日本では一般に 「終戦の日」 は1945年8月15日として定着している。
しかし、正確にはその日は 「終戦の詔勅を天皇が国民に示した日」 であり、日本国家としてのポツダム宣言受諾は8月10日の御前会議で決定し、さらに8月14日に御前会議を経て「終戦の詔勅」に天皇が署名したことで正式に決まった。
また、9月2日、東京湾上のアメリカ軍艦ミズーリ号上で日本が降伏文書に調印した日が、正式な太平洋戦争、日中戦争、第二次世界大戦の終わった日付である。
8月15日は日本では終戦記念日とされ、韓国・北朝鮮ではその日を日本の植民地支配から解放された日として祝っている。
しかし、世界的・国際的には9月2日が戦争の終わった日とされている。
「玉音放送」の内容
朕ちん (天皇の自称) 深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せんと欲し、茲ここに忠良なる爾なんじ臣民に告ぐ。
朕は帝国政府をして米英支蘇四国 (アメリカ・イギリス・中国・ソ連) に対し、この共同宣言 (ポツダム宣言) を受諾する旨、通告せしめたり。
抑々そもそも帝国臣民の庸寧 (安全) を図り、万邦共栄の楽たのしみを階ともにするは皇祖皇宗の遺範にして朕の眷々措けんけんおかざる所、曩さきに米英二国に宣戦せる所以ゆえんも亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾しょき (望むこと) するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固もとより、朕が志にあらず。
然るに交戦すでに四歳 (年) を閲けみし (過ぎ)、朕が陸海将兵の奮戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽せるにかかわらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず、加之しかのみならず敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻しきりに無辜むこ (罪のない人々) を殺傷し、惨害の及ぶ所、眞に測るべからざるに至る。
而しかも尚交戦を継続せんが、ついに我民族の減亡を招来するのみならず、延しいて人類の文明をも破却すべし。
斯かくの如くは朕、何を以て億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや、是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
朕は帝国と共に終始東亜の解放に協カせる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃たおれたる者、および其の遺族に想を致せば、五内ごだい (身も心も、の意味) 爲に裂く。
且つ戦傷を負い、災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念しんねん (心配するという意味の皇帝用語) する所なり。
惟おもふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず、爾臣民の衷情も、朕善くこれを知る。
然れども朕は、時運の趨おもむく所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。
朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠 (忠誠心 )に信倚しんい (信頼) し、常に爾臣民と共に在り、若しそれ情の激する所、濫みだりに事端を滋く (難しく) し、或は同胞排擠 (排除) 互に時局を乱り、為に大道を誤り信義を世界に失うが如きは朕、最も之を戒む。
宜しく挙国一家、子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念おもひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏かたくし、誓て国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。
爾臣民、これ克よく朕が意を体せよ。
  御名ぎょめい 御璽ぎょじ
昭和二十年八月十四日 以下、内閣総理大臣鈴木貫太郎以下、閣僚の署名。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産