事故は2005年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口―尼崎間で起きた。
7両編成の快速電車が、制限速度70キロの右カーブに時速約116キロで進入。
1~5両目が脱線し、1、2両目が線路脇のマンションに激突した。
事故調の報告書によると、乗客106人と運転士1人の計107人が亡くなり、562人が負傷した(神戸地検が認定した負傷者は485人)。
犠牲になった乗客106人のうち、事故当時乗っていた車両を特定できなかった4人を除く102人が1~3両目にいた。
事故調は原因について、運転士のブレーキ使用が遅れたため、快速電車がスピードオーバーの状態でカーブに進入し脱線したと推定。
また、ミスをした乗務員への懲罰的な再教育である「日勤教育」など、JR西の運転士管理方法が関与した可能性があるとも指摘した。
神戸地検は09年7月、JR西の山崎正夫元社長を業務上過失致死傷罪で在宅起訴した。
山崎元社長のほか、歴代社長3人についても遺族による検察審査会への申し立てを受けて同罪で強制起訴したが、いずれも無罪が確定した。
脱線した先頭と2両目の車両が激突したマンションは、カーブに差しかかって間もない線路脇に建っていた。
先頭車両は線路から完全に飛び出し、マンションにぶつかった衝撃で、2両目と共にほぼ「く」の字に折れ曲がった状態で止まった。3両目は線路をまたぐようにレールから外れ、4両目も線路から右に飛び出した。
JR福知山線で、脱線し進行方向左側のマンションに激突、大破した電車と運び出される大勢の負傷者=兵庫県尼崎市潮江4で2005年4月25日午前9時47分。
現場周辺は住宅や工場の密集地だった。
事故現場のカーブには、自動列車停止装置(ATS)が設置されていなかった。
事故調の報告書には乗客の口述も盛り込まれ、事故当時の様子が明らかとなった。
1両目に乗車し、骨盤骨折の重傷を負った男性は「『フワ』と傾いた時、後ろから落ちてきた感じで、人が自分にぶつかった。
車内はまるで洗濯機のような状態で、砂袋でぶたれるような感じだった」と語った。
1両目に乗車し、両足切断の重傷を負った男性は「気が付いたら運転席の後ろのガラス窓を突き破って体が飛ばされ、運転席の機器の上に体が乗っていたように思う。
救助されたのは、22時間後だった」と証言した。
事故原因はなぜ運転士は制限速度をオーバーして走行し、ブレーキをかけ遅れたのか。
事故調によると、運転士は事故直前に伊丹駅で約72メートルオーバーランしていた。
その際、車掌にオーバーランの距離を過少報告するよう車内電話で依頼した。
車掌は「だいぶと行ってるよ (ずいぶん行き過ぎているよ)」 と答えるとともに、乗客対応のため運転士との会話を途中で打ち切った。
車掌は総合指令所に列車無線でオーバーランを 「8メートル」 と虚偽報告した。
その約34秒後、運転士は時速約116キロでカーブに進入し、脱線事故を起こした。
脱線車両の中を調べるレスキュー隊員ら=兵庫県尼崎市で2005年4月25日午後4時29分。
事故調は運転士のブレーキ使用が遅れた理由について、 ①オーバーランの虚偽報告を求める車内電話を切られたと思い、車掌と輸送指令員との交信に特段の注意を払っていた ②日勤教育を受けさせられることを心配して言い訳を考えていた――ことなどから、注意が運転からそれたためと推定した。
虚偽報告を求めた背景には、JR西がミスをした運転士に普段から懲罰的な再教育制度である日勤教育や、懲戒処分をしていた社内風土があったと指摘した。
運転士は事故以前に3度、日勤教育を受けていた。
友人には「日勤教育は社訓みたいなものを丸写しするだけで意味が分からない」 「その間の給料がカットされ、本当に嫌だ」 と話していたという。
事故調は日勤教育について 「一部の運転士には、運転技術向上に効果のないペナルティーと受け取られていた」 「実践的な運転技術の教育は不足していた」 と指摘した。
事故調の報告書を巡っては、07年6月の公表前、事故調の山口浩一・元委員が山崎元社長に報告書の案を渡していたことが発覚した。
山崎元社長はATSに関する報告書案の記述について 「後出しじゃんけんであり、表現を柔らかくするか削除してほしい」 と要求。
これを受け、山口元委員は事故調の委員会の席上、「後出しじゃんけんにあたるのでいかがなものか」 と発言していたという。
山崎元社長は「事故調の調査に全面的に協力する中で、調査状況を把握し、迅速に対応するとの思いから報告書案などを事前にもらった。
軽率で不適切な行為であったと反省している」と謝罪した。
山口元委員は「安全対策を積極的に推進する姿を見て助けたかった」などと釈明した。
山崎元社長の裁判は神戸地検は09年7月、事故を予見できる立場にありながらATSを設置しなかった過失があるとして、山崎元社長を業務上過失致死傷罪で神戸地裁に在宅起訴した。
山崎元社長は、JR西の安全対策を一任された鉄道本部長在任中の1996年~98年、 ①事故現場カーブを半径600メートルから304メートルに半減させる工事 ②JR函館線のカーブでの貨物列車脱線事故 ③ダイヤ改正に伴う快速列車の増発により、現場カーブで事故が起きる危険性を認識していたにもかかわらず、ATSの設置を指示せずに事故を起こさせたとして在宅起訴された。
山崎元社長のほかにも運転士らJR西の関係者9人が書類送検され、歴代3社長も遺族に告訴されたが、神戸地検は山崎氏以外の12人については不起訴処分とした。
運転士は容疑者死亡が理由で、他の11人は事故を予見できなかったとして容疑不十分と結論づけた。
山崎元社長の裁判は10年12月に神戸地裁で始まった。
山崎元社長は「106人の尊い命を奪い、多くの人にけがをさせた。
おわび申し上げる」 と謝罪する一方、起訴内容については 「危険性の認識などの指摘は事実と全く異なる」 と全面否認し、無罪を主張した。
弁護側は 「鉄道業界では当時、カーブの安全対策は余裕のある制限速度を設け、速度順守は運転士に委ねるのが常識で、カーブにATSを急整備すべきだとの規範意識はなかった」 と主張した。山崎元社長には、危険性の認識も事故の予見可能性もなく過失はなかったと述べた。
これに対して検察側は冒頭陳述で、山崎元社長が安全対策室長だった1993年、東海道・山陽線のATS設置を巡り、経費削減のために重要度の低いものを減らす検討を指示した。
その際、カーブでの速度超過による事故の危険性について報告を受けていたなどと指摘した。
当時は運転士の人為的ミスが多発し、設備面で補うのが業界の常識だったうえ、JR函館線事故などの報告も受けており、予見可能性があったのは明らかだったと述べた。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産