神道に書籍なし。
天地をもって書籍とし、日月をもって証明となす。
中学生の頃、なぜ、日本では、宗教的経典がないのか、不思議だった。
仏教は、色々なお経があるし、キリスト教は、聖書があるのに、なぜ、神道には、経典がないんだろうと思っていた。
そして、神道の教えとは何なのか。
これも良くわからないなあと思っていた。
そして、最大の疑問は、絶対的帰依という考え方が、神道にはないのではないか。
つまり、神道は、宗教ではないのではないかと思っていた。
大学に、入学してみると、神道という講座が必修だった。
ちょっと授業を受け、最後の授業あたりに神道式の結婚式を見学して、単位を取ったのだが、大学時代も結局、神道とは、何なのか? 全く理解できなかった。
ただ、神道は、多分自然崇拝なんだろうなと思ったぐらいです。
その当時は、まだ宗教的要素は未完成なんだと思っていたのが、卒業から数十年以上たった今、神道は、非常に優れた自然崇拝なのではないかと思うようになった。
形がなくても、自然が自分の周りにあって、その自然に対して感謝をする気持ちがあれば、それが神道なのだと得心が行くようになったのです。
絶対的帰依を求める必要がないのです。
人工的に神様を創ったわけではないからです。
生きていることに感謝することこそ、神道の教えなのです。
全てのものに生かされていると思えれば、それが神道なのです。
強要もしないし、教えもしない。
自分で感じ取って生を全うするだけ。
それが、自然という摂理なのです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産