1987年6月6日深夜、東村山市青葉町の特別養護老人ホーム「松寿園」から出火、3階建ての施設に収容されていたお年寄り74人のうち17人が死亡、25人が負傷した。
老人ホームの火災としては戦後2番目に多くの犠牲者を出す惨事だった。
老人福祉施設の安全管理に大きな教訓となるとともに、医療を含めた福祉の在り方に論議を呼ぶきっかけとなった。
火事の出火元は2階のリネン室と分かり、内部からの放火が疑われたが原因は特定されなかった。
出火当時非常ベルは鳴ったが、宿直の職員は2人だけで対応が遅れた。
スプリンクラーは設置されていなかった。
当時警視庁担当の記者だった筆者は出火から約30分後現場に到着し取材を始めた。
炎や黒煙は見られず、白煙がベランダから漏れている程度で、ぼやのようにも見えた。
救急隊員がはしご伝いに次々と収容者を背負って救出し、隣の駐車場にテントを張って避難させていた。
救出された男性に中の様子を聞いたところ「まだたくさんの人が残されている」と話し、初めて事故の重大性に気付かされた。
この火事は全国の老人ホームをはじめとする社会福祉施設の安全対策見直しの大きなきっかけとなった。
スプリンクラーの設置規制が強化されたほか、「社会福祉施設及び病院における夜間の防火管理体制指導マニュアル」がつくられた。
しかし安全を確保するための決定的要因である職員の不足は今も深刻な問題となっている。
火災後、松寿園がずさんな経理で経営難に陥り、土地、建物が競売に出されていたことが明るみに出、同施設をめぐるごたごたがその後も続いた。
再建計画が立てられ、89年に園は再開されたが、経営状態は改善せず、東京都は96年に解散命令を出し、約5億円に上る補助金の返還を請求した。
経営母体の理事長は有印私文書偽造の疑いで書類送検された。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産