1結果の平等はともかく、挑戦する機会というものは、誰にでも平等であると強く信じている。
私たちは、なんだかんだと平等を求めるが、必要のないものに、結果の平等がある。
結果が、平等である必要はない。
ちょっと前に、小学校の運動会で、みんなで一緒にゴールする徒競走が話題になったが、これなどは、平等を勘違いした典型的な事件です。
教育現場でこのようなバカなことがまかり通ることが多い。
子どもたちは、平等に扱わなければならないという意識が、この事件を生んだ元だろうと思うが、平等を全く勘違いしているからです。
平等とは、機会の平等しかない。
それもその機会を生かすかどうかは、みんな違うのだが、その機会だけは、皆に平等に与えられているという意味の平等しかない。
個人の意思が反映されるものしか、平等は必要ないのです。
プロセスはどうであれ、やる個人の力量や思いはどうであれ、結果は、平等だというのは、全く人間をバカにしているものです。
人間には、人それぞれの人生があるからです。
自分の人生まで他人に決められたくはないし、他人に決める権利もないからです。
自分でなんとかするのが自分の人生だからです。
平等に与えられる機会をまずは、機会として受け止められるように、力をつけよう。
その次に、その機会を生かすかどうかを自分で判断できる基準を身につけよう。
成功する機会も失敗する機会も、自分で選ぶことです。
自分で選べるものだけが、私たちには、平等に与えられているのだから。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産