人間は偉大になればなるほど、怒りのさなかにあっても、それだけ和解を忘れない。
そして高貴な心ばえは、おのずから穏便を求めるものです。
人間が怒る時は、どんな時だろう。
それは、自分の思いや意見や考えが、目の前の人間に理解してもらえない場合、それも理を尽くして相手に説いて、それでも理解してもらえない場合に、人間は怒りを感じるのではないだろうか。
それは実は、相手が自分の存在を無視しているということだからです。
裏切られるのも、実は自分の存在を相手が無視するから裏切ってしまうのです。
つまり、怒りとは自分の存在に対する承認のなさに感じる負の感情なのです。
そんな怒りを人間はどう処理するのか。
一つは、現実的な仕方で処理をする。
もう一つは、感情的な仕方で処理をする。
前者は、相手との和解において処理をするし、後者は相手の存在を無視するという形で処理をするのです。
つまり、本質的に仲直りをするか表面的に仲直りをするということなのです。
人間の器が大きくなればなるほど、人間は、本質的なことを求める。
それが、和解ということです。
人間関係の中で色々な感情が生まれるが、器の大きい人間は、必ず相手との共存を考えるものです。
それが器の大きさなのです。
自分しか入らない器か、相手も入れる器か、なのです。
和解とは、相手と自分の共通項の確認です。
それが出来てこそ、皆で大きなことができるのです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産