事実というものは存在しない。
存在するのは解釈のみである。
吉本隆明の「共同幻想論」が刊行されて56年が経った。
最近、私は、この共同幻想論の骨子を思い浮かべることが多い。
言語哲学を大学時代にかじり、記号学をかじり、文化人類学をかじった身としては、幻想という認識形態が、どんどん身近に感じるようになったからかもしれない。
私たちは、事実を認識する際に、どうしても今までの価値観や思い込みや制度という色眼鏡を通して、認識する。
そして、その認識に違和感がなければ、色眼鏡の色がどんどん強化される方向へと向かう。
この色眼鏡こそ、幻想なのです。
つまり、それは、時代的、制度的解釈といってよい。
私たちは、事実を見る以上に、その事実にまつわる意味を把握し、その把握したことを自分の認識体系の中に組み込んでいく。
その組み込む変換が、解釈です。
自分なりの解釈で自分の認識体系の中に組み込んでいくのです。
もし、人生を変えたければ、事実を解釈する、その解釈を変えることです。
そうすれば、自分の認識体系が自然と変わっていくからです。
そうすれば、人生は変わっていくはずです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産