反対者には反対者の論理がある。
それを聞かないうちに、いきなりけしからん奴だと怒ってもはじまらない。
問題の本質的な解決には結びつかない。
私たちは、人それぞれの論理の中で生きている。
私の論理は、他人の論理とは似てはいても、同一のものではない。
どこかしら違っている。
だから、意見の相違があり、対立が起こるのだが、それは、当然の成り行きです。
なにせ、一人ひとり論理が違っているからです。
だから、私たちは物事を前に進めようと思えば、他人の論理と自分の論理をどこかで折り合いをつけるべく、他人の論理を理解し、自分の論理を理解して、妥協点を探っていくことになる。
しかし、これが出来なければ、他人と自分は訣別するか、力でねじ伏せることになる。
逆もあり得る。
力でねじ伏せられて、自分が沈黙するのです。
私たちは、対立から融合にステージが上昇するように、努力しよう。
誰にだって言い分があるのです。
その言い分に何がしかの理を認めて、妥協点を探っていくことです。
論理と論理の対立を乗り越えるために、相互理解の土俵に立つことです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産