本当に転がった者は、起き上がる時になにか得をしている。
私たちは、小さなプライドを持っているから、失敗を失敗として認めたくはない。
失敗を認めてしまえば、この自分の能力のなさが、明白になってしまうからです。
しかし、失敗を失敗として認めない限り、失敗からは学べない。
「本当に転がった」というのは、まさに失敗を失敗だと認めたということです。
だからこそ、「立ち上がる時に」、そこから学んだ果実を持てるのです。
私たちに重要なことは、この失敗を自分のものとして認め、失敗から次につながる教訓なり意味を獲得することです。
無意味な失敗は、存在しない。
しかし、失敗を無意味にする自分がいるだけです。
そうならないように、本当に転ぼう。
失敗を本当に認めよう。
そこからしか、人生に対する本当に意味あることは学べないのだから。 ☆
(T.Koga)長崎市の三山不動産