私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。
語りえぬものについては、沈黙しなければならない。
人間にとっての客観的な世界とは、物理的な地球の歴史です。
それ以外は、主観的な世界の中で、人間は生きている。
私たちは、同じ時空間にいても、自分だけの世界の中で生きている。
そして、その自分だけの世界が、他人との世界と重なるところが、客観的な世界だと思っているだけです。
そういう意味で考えると、私の世界は、私が創造=想像した中にある。
そして、私は、その世界を語っているのだが、それでも自分の言葉では言い得ない他人の世界と重なったところについては、自分の世界として語っていけない。
それは、他人に対しても自分に対してもウソになるからです。
語り得るまで語らない誠実さを私たちは、他者に持つべきです。
真摯に世界と向き合う私たちは、誠意をもって、世界に向き合うことです。
知らないことを知らないまま語ってはいけないのです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産