自然は、無限に分かれたる神である。
汎神論は、西欧では有神論ではない。
いたるところに神がいることは、神がいないことと同じなのです。
しかし、我々日本人は、汎神論的な風土で育ち、八百万の神といういたるところに神様がいるように育てられた。
このテーマも同じような意味合いのように思えるが、実は、ちょっと違う。
絶対神としての神が、いたるところにいるのです。
分身の術とでもいうような感じで、自然のいたるところに絶対神の分身がいるのです。
あくまで自然の中に明確な神が、輪郭のはっきりした神がいるのです。
それに対して私たちの感覚は、自然のいたるところにその自然物が宿す神がいるという感覚です。
だから、トイレの神様は、神棚の神様とも台所の神様とも違う、トイレの神様なのです。
トイレではトイレの神様のルールが、台所では台所の神様のルールが、別々にあるということです。
私たちの感覚で言えば、神様のいる場所が一杯あった方が良い。
その方が、私たちの身が引き締まる。
傍若無人になりそうな現代人には、いたるところに神様がいて、しっかり見守ってくれている方がありがたいのかもしれない。
色々な神様が私たちを見守ってくれているのです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産