物知りの馬鹿は、無知の馬鹿よりも阿呆である。
世の中には、困った人たちがいる。
常識というものを知らないかのように振舞う人たちがいる。
若い人なら、知らないのだなと許せるが、ある年齢に達している人が、非常識的な行動を取れば、この人は、どういう人なのかと、人格を疑ってしまう。
知らないから出来ないは、許されるが、知っていて出来ないは、何かの意図があるはずです。
この知っていて出来ないは、知る知らないの次元を超えて、何か悪意か、意図があるとしか思えない。
しかし、当の本人には、その自覚がない。
そう、馬鹿な振る舞いは、本人の意志的行動ではないのです。
知っていてもやらないというのは、その人が、社会に目を向けているか、背けているかの違いだけなのです。
馬鹿に付ける薬はないと昔の人は、良く言ったものです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産