自分とは常に魂をしばりつけることのできる唯一の牢獄である。
私たちは、自由に発想し、自由に思考し、自由に想像することが出来る。
しかし、その自由さを現実的に行使できるかと言えば、それは別です。
生身の人間である自分自身が、その自由さを受け入れないからです。
もっと言えば、物理的限界を自分自身が持っているから、受け入れたところで、どうしても現実に縛られて、自由が制限されてしまうからです。
しかし、逆に言えば、その自由さを制限されるから、発想も、思考も、想像も、さらに鍛えられるのです。
簡単に発想し、思考し、想像しても、自分が重しになって現実化しない。
そこで、どうすれば、現実化するかをさらに発想し、思考し、想像する。そういうサイクルが、私たちを鍛えていく。
だから、私たちは、自由を制限するものを毛嫌いしないようにすることです。
それは、自分を試している試験紙です。
制限の中で自由に発想し、思考し、そして想像していく。
それも、自分を更新しつつ。
これが、私たちにとって大切な姿勢なのではないだろうか。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産