記憶力しか有っていない人間は、足し算しか出来ない人間と同じです。
暗記教育がやり玉にあげられ、今までの画一的教育が悪玉となり、必要なのは、知識ではなく、思考力だ、表現力だ、判断力だとまくしたてられている。
子どもたちが主体的な学習が出来るように、アクティブ・ラーニングを行い、一人ひとりが参加できる授業ではなければならないと言われている。
確かに、主体的な活動が出来ることが好ましいが、そのためには、知識の蓄積が必ず必要なのです。
知識がないのは、思考の材料がないということです。
だから、暗記力はどうしても必要です。
しかし、その暗記するだけに留まらないことがさらに重要なのです。
暗記した中身を活用するところまで行って、初めて私たちは主体的になれる可能性があるのです。
だから、知識の獲得を否定することはない。
そこで留まることを批判しなければならないのです。
ここに、昨今の教育論の偽善がある。
苦労することでしか、知識は獲得できない。
そして、それを自分のものにするためには、さらに現実的に活用することです。
この順番を否定して、「最小の努力で最大の効果」などとうそぶく昨今の教育議論は、子どもを不幸にする仕掛け以外の何物でもないと私は思っている。
教育は、「最大の努力で最小の効果」しか得られないことを教えることです。
しかし、この最小が積み上がっていけば、最大になっていくのです。
一足飛びに最大なんて目指さないことです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産