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日本人初のオリンピック金メダリスト 8.Aug.2024

織田幹雄は 「日本人初のオリンピック金メダリスト」 であり、アジア人初のオリンピック金メダリストでもある。
織田の金メダルにより、日本陸上は一躍世界の第一線に躍り出たと言われる。
当時英語で 「ホップ・ステップ・アンド・ジャンプ」 (現在はトリプルジャンプ) と呼ばれた競技名を 「三段跳」 と訳した。
早稲田大学時代に競技会のプログラムを作る際、織田が 「三段跳」 と訳した。
三段跳では、織田 (1928年五輪) ・ 南部忠平 (1932年五輪) ・ 田島直人 (1936年五輪) と3大会連続で金メダルを獲得したことから、当時は、「日本のお家芸」とも言われた。
なお、南部と織田は終生の友人であり、田島は織田の影響で三段跳を始めた関係でもある。
「陸上の神様」、あるいは 「日本陸上界の父」 と呼ばれ、戦後日本全国で陸上競技を指導・普及した、いわば、育ての親のような存在である。
国際オリンピック委員会オリンピック功労賞受賞。
文化功労者、広島県名誉県民、安芸郡海田町名誉町民、東京都名誉都民、渋谷区名誉区民。最終学歴は早稲田大学商学部卒業。朝日新聞社に入社し最終的には朝日新聞運動部部長、のち早稲田大学教授を務めた。
実兄は元中国電力筆頭理事で小水力発電メーカーを立ち上げた実業家の織田史郎。
妻は貴族院議員・中村純九郎の三女。
実業家で第7代住友財閥総理事の古田俊之助は義兄。
妻の伯母は天文学者・寺尾寿の先妻。
長男の正雄と次男の和雄は共に父・幹雄関連の著書で名を連ね関連イベントに登場する。
正雄は日独協会理事を務めドイツ関連の書籍をいくつか出している。
一方で二人は、上皇明仁の学友 (正雄は学習院中等科で同級生、和雄は2歳後輩のテニス仲間であり常陸宮正仁親王と同級生) として知られ、上皇后美智子とを繋いだ関係者でもある。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産