民族についても個人の場合と同様に、眞の進歩を構成するものは外部的知識の蓄積ではなくて、内部に存する自己の實現である。
日本は、昔から教育の力を信じていた。
教育とは、教科を教えること以上に、村落共同体で教える社会的ルールです。
近代になって、学校が村落共同体の教育的機能を奪ってしまったが、それでも、この日本社会における教育の機能は、素晴らしかった。
しかし、それが、ここ数十年、価値観の多様化による学校の機能不全と教育改革の方向性の間違いで、機能しなくなってきた。
外部的知識を主眼にした教育に転換していった。
私たちは、もう一度、教育の力を信じることです。
子どもを皆で大人にする日本の教育のあり方を取り戻すことです。
そうしなければ、とんでもない社会になってしまう。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産