未知の局面に出会ったとき、定跡は最高の羅針盤となる。
昨今の風潮は、日本の教育は、閉塞感があるから良くないとか、なんでもかんでも管理するから良くないとか、画一的な教育だから良くないとか、訳の分からない人が、色々とイチャモンを付け、それに同調する人たちがいて、日本の教育は悪いというようになっている。
私などは、「日本の教育」は、という限り、どこと比較していっているのか、はっきりしてもらいたいと思っているが、まあ、風潮だから仕方がない。
印象論が幅を利かせているのです。
教育というものを定義しないし、教育の本質を分かろうともしない人たちが、色々なことを言っていると、私などは思っているのだが、文句を言う前に、何が本当に大切なことなのかを、考えてほしいし、教育の結果をしっかり見てほしい。何事も基本を疎かにしては、意味がない。
自由にさせれば、教育の効果は上がるのだという論理は、その対象の精神年齢によるところが大だし、自由の前に基本があって、その基本を理解させ、出来るようにさせてこそ、自由を使いこなせる可能性があるのです。
その辺を無視していると、効果が出ないのに、その辺のことは、全く無視して、色々なことを言っているようなものが多いのです。
私たちが生きていくうちに出会う困難なことに対して、教育は、何が出来るのか。
その答えは、実は簡単で、「基本に戻れ」と言うことです。
未知の出来事に出くわしたら、基本に戻ることです。
形ある思考こそ、自由な無定形な思考が出来る原型だからです。
そのことを忘れて、教育を考えてはダメです。
日本の教育をそんなに貶める必要はないのです。
画一的な教育も成長段階では、必要だからです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産