うばい合うと、足らないけれど、わけ合うと余る。
私たちは、私的所有を当然だと思っているが、実は、この概念、案外新しいものなのです。
自分のものという感覚は、それほど昔からあったわけではない。
太古の昔、私的所有などなかった。
例えば、狩猟採集時代は、みんなで獲物を分け合っていたし、江戸時代ですら、みんなのものという領域が残っていた。
現代ですら、海は、山は、川は、みんなのものという考えがある。
自然も同じように、みんなのもの、いや誰のものでもないという考えすらある。
私たちは、有限な資源を分け合わない限り、一人ひとりが、しっかりとした生活は出来ない。
世界中で、資源の獲得競争を行っていては、行き詰まってしまうだろう。
もうそろそろ、私たちは、色々なものを分け合うことです。
それも、今生きている人と、未来に生きるであろう人が、分け合うことです。
そうしないと、私たちに未来はないように思う。
奪い合う時代から、分け合う時代にしていこう。
自分のものではない。
みんなのものです。
そして、未来のものです。
分け合うということは、何かを我慢するということです。
すべてを使い尽くすことのないようにしたい。
自分のものではないからです。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産
今日は九大病院、咬合補綴科を受診します。