いまなお“20世紀最大のミステリー”と語り継がれる大事件は、現地時間1963年11月22日に米テキサス州ダラスで発生した。
絶大な国民的人気を誇った第35代合衆国大統領ジョン・F・ケネディが、大勢の市民の歓迎を受けているパレードのさなかに白昼堂々と暗殺されてしまったのだ。
それはケネディが1961年1月に大統領に就任してから、わずか2年10か月後の悲劇だった。
世界中を震撼させたこの暗殺事件は、“その後”も異例の展開の連続だった。
事件発生から約1時間後に犯人として逮捕された元海兵隊員リー・ハーヴェイ・オズワルドは、その2日後にダラス警察署から移送される途中、ナイトクラブのオーナーであるジャック・ルビーに銃撃されて死亡。
翌年、ケネディの後を継いだリンドン・ジョンソン大統領が真相究明のために設置したウォーレン委員会は、犯行はオズワルドの単独によるもので、背後に陰謀の類いは存在しなかったと結論づけたが、あまりにも多くの不可解な謎が残されたため、21世紀のいまに至るまで数々の著作やドキュメンタリー、劇映画の題材になってきたことは周知の通りである。
果たして誰が、どのようにして、なぜケネディを暗殺したのか。
長年にわたるその議論に一石を投じたのが、映画監督のオリヴァー・ストーンだった。
ベトナム戦争に偵察隊員として従軍した自らの経験を生かした『プラトーン』で脚光を浴び、米アカデミー賞で作品賞、監督賞をダブル受賞したストーン監督は、その後も『ウォール街』、『トーク・レディオ』、『7月4日に生まれて』という社会派エンタテインメントの問題作を連打。
そして1991年、ウォーレン委員会の報告に真っ向から異を唱えた大作『JFK』を発表し、破格の大反響を巻き起こした。
ケネディ暗殺の痛ましい歴史的記憶をアメリカ社会に呼び覚ました『JFK』の影響は政治をも動かし、全米公開翌年の1992年、アメリカ議会は「ジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法」を可決。
それによって数百万ページにおよぶ機密文書が開示され、民間団体や研究者による事件の新たな検証が行われるようになった。
しかしメディアなどの動きは鈍く、真実は未だ藪の中。
そこで再び立ち上がったのがストーン監督である。『ワールド・トレード・センター』、『スノーデン』のプロデューサー、ロブ・ウィルソンとタッグを組み、『JFK/新証言 知られざる陰謀【劇場版】』を完成させたのだ。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産