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桃の節句 3.Mar.2022

3月3日のひなまつり(雛祭り)といえば女の子のお祭りですが、それだけではありません。
ひな祭りのルーツは「上巳の節句」です。「上巳(じょうし/じょうみ)」とは3月上旬の巳の日という意味で、のちに日付が変動しないよう3月3日となりました。
その起源は300年頃の古代中国で起こった「上巳節」にさかのぼります。
昔から季節や物事の節目には災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、川の水に心身の穢れ(けがれ)を流して厄を祓う行事や、杯を水に流して宴を催す「曲水の宴」などが行われていました。
つまり、季節の節目の邪気祓い行事として、老若男女を問わず皆の幸福を願う行事だったんです。
その上巳節を遣唐使が日本に伝えたといわれています。
日本でも古くから「禊(みそぎ)」や「祓い」の思想、「形代(かたしろ)」という身代わり信仰があったため、それが上巳節と結びつき、上巳の節句として日本独自の文化として定着していきました。
そのひとつが「流し雛」で、これは自分の体を草木やわらでこしらえた「人形(ひとがた)」で撫でて穢れを移し、それを川に流す行事が上巳節と混じりあったもので、今でもその伝統を守っている地域があります。
また、曲水の宴も風雅な文化として発展していきました。
やがてお馴染みの雛人形が良家の子女のある遊びから誕生します。
平安時代頃から、宮中や貴族の子女の間で、紙の人形を使ったままごと遊びが盛んになり「雛遊び(ひなあそび/ひいなあそび)」といわれるようになりました。
「雛」とは、大きなものを小さくする、小さなかわいいものという意味です。
この遊びが上巳の節句と結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生しました。
これがいわゆる雛人形の原型です。
やがて人形作りの技術が発展し立派な雛人形ができてくると、雛人形は流すもの(流し雛)から飾るものへと変化していきました。
やがて江戸幕府が五節句を制定し、3月3日の「上巳の節句」が五節句のひとつに定めると、5月5日の「端午の節句」が男の子の節句であるのに対し、3月3日は女の子の節句となり、「桃の節句」と呼ばれるようになりました。
すると、娘の厄を受ける雛人形はその家の財力の象徴として華やかさを増してゆき、豪華な雛人形を雛壇に飾るようになりました。
自慢の雛人形を見せ合う雛合わせや、ご馳走を持って親戚を訪ねる雛の使いが流行し、美しい雛人形を持って「雛祭り(ひな祭り)」をすることが民衆の憧れとなりました。
ついには等身大の雛人形まで登場し、贅沢を警戒する幕府によって人形の大きさがおよそ24センチに制限されたほどでした。
やがて、町民が豊かになると「雛祭り」は町をあげての楽しい行事となり、我が子の幸せを願う行事として親しまれるようになりました。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産