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昭和三陸地震 3.Mar.2024

1933年3月3日午前2時32分、岩手県の三陸沿岸では強い地震を感じた。
震源地は大陸プレートと海洋プレートがぶつかり合う境界域で、三陸から沖合に200キロほど離れており、1896年の明治三陸地震とほぼ同じ場所だった。
明治三陸地震は陸地でほとんど揺れを感じなかったが、この時は震度4から5程度の揺れがあったとされる。
ただし、揺れがこの程度で済んだのは、震源が遠かったからで、地震の規模はマグニチュード8.1という巨大なものだった。
地震発生から約30分後に津波の第1波が沿岸に到達、まず海水が沖へ退き、数分後に高波が襲来した。
津波は6回にわたって押し寄せ、第2波が最も大きく、波の高さは10メートルを超えた。陸上の揺れが大きかったため、住民の多くは避難を始めていたが、それでも死者・行方不明者は3064人に達した。
岩手県田老村(現在は宮古市田老町)田老では全個数362戸のうち358戸が流失、人口の4割以上に当たる792人が犠牲となるなど、ほぼ壊滅状態になった。
昭和三陸地震は、プレート境界で発生した海溝型地震だが、大陸プレートが下方に動く正断層タイプの珍しい地震だった。
明治三陸地震の犠牲者(2万2959人)に比べれば少ない被害だったとは言え、三陸沿岸が甚大な被害を受けたことに変わりはない。
その後、被災地では高台への集団移転も行われたが、生活環境などの問題から海岸沿いの低地に戻るケースも少なくなかった。
現在では、防潮堤の整備が進み、特に田老地区では「万里の長城」と呼ばれる高さ10メートルを超える防潮堤がぐるりと町を囲む形になっている。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産