
最新賃貸物件
最新売買物件


三山不動産では退去・解約通知申請がWEBからできるようになりました
会長ブログ
アメリカ同時多発テロ事件(英: September 11 attacks)は、2001年9月11日にイスラム過激派テロ組織アルカーイダによって行われたアメリカ合衆国に対する4つの協調的なテロ攻撃。
一連の攻撃で日本人24人を含む2,977人が死亡、25,000人以上が負傷し、少なくとも100億ドル(日本円で約1兆5750億円)のインフラ被害・物的損害に加え、長期にわたる健康被害が発生した。アメリカの歴史上、最も多くの消防士と法執行官が死亡した事件である(殉職者はそれぞれ343人と72人)。
また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争が勃発し、世界規模での対テロ戦争が始まった。
2001年9月11日(火曜日)の朝、アメリカ合衆国北東部の空港から西海岸に向けて出発した旅客機計4機が、イスラム原理主義過激派アルカーイダのメンバー計19人にハイジャックされた。
ワールドトレードセンターへのテロ攻撃
アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便の2機はニューヨーク州ニューヨークのワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)に向かい、午前8時46分(日本時間11日午後9時46分)にアメリカン航空11便がノースタワー(北棟)に、午前9時3分(日本時間午後10時3分)にユナイテッド航空175便がサウスタワー(南棟)に激突した。
南棟はハイジャック機の突入から56分後、北棟は1時間42分後に倒壊し、それに伴う衝撃と火災は7 ワールドトレードセンタータワー(47階建て)を含むワールドトレードセンター内の全ての建物への一部または全体への破壊を引き起こしただけでなく、周囲10ヵ所の大型構造物に甚大な損傷を与えた。
ペンタゴンへのテロ攻撃
3機目のアメリカン航空77便は、午前9時37分(日本時間午後11時37分)にバージニア州アーリントン郡のペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に激突し、建物の西側を部分的に倒壊させた。
テロ攻撃の失敗
4機目のユナイテッド航空93便はコロンビア特別区に向けて飛行していたが、乗員乗客がハイジャック犯の制圧を試みた結果、ペンシルベニア州ストーニークリーク郡区の野原に墜落した。
ワールドトレードセンターおよび周辺のインフラへの破壊は、ニューヨークの経済に深刻な打撃を与え、世界市場にも大きな影響を与えた。
米国とカナダの民間空域は9月13日まで閉鎖され、ウォール街は9月17日まで閉鎖された。
新たな攻撃への恐怖と警戒心から多くの閉鎖や避難、キャンセルが続いた。
捜査の結果、アルカーイダの指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンに疑いを向けた米国は、テロから約1ヵ月後の2001年10月、有志連合諸国と共に軍事作戦を開始した。
アフガニスタンを攻略し、同国からのアルカイダの放逐と、テロの首謀者とみられるビン・ラーディンの身柄引き渡しに応じなかったタリバン政権を同年11月に事実上崩壊させた。
ビン・ラーディンは当初、事件への自身の関与を否定していたが、2004年にテロ攻撃の責任が自らにあることを認めた。
アルカイダとビン・ラーディンは、アメリカのイスラエル支援、サウジアラビアへのアメリカ軍の駐留、幼児50万人が犠牲になったといわれるイラクに対する制裁などをテロの理由に挙げた。
ビン・ラーディンはテロから10年近く捕捉を逃れ、パキスタン国境付近に潜伏していたが、テロから約10年後の2011年5月、アメリカ軍の急襲により殺害された。
ワールドトレードセンター跡地の清掃は2002年5月に完了し、ペンタゴンは1年以内に修復された。1 ワールドトレードセンターの建設は2006年11月に始まり、2014年11月に開業した。
ニューヨーク市の911メモリアル&ミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルベニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど、多数の慰霊碑が建立された。
ハイジャックされた各旅客機の飛行ルート
2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストン、バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系の集団によってほぼ同時にハイジャックされた。
彼らは操縦室に侵入し、操縦士を殺害した後、自ら操縦して、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク州ニューヨーク・マンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた。
なお、乗っ取られた4機のうち2機が米ボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機である。
この2種類の機体は、運行する航空会社の操縦士に互換性を持たせるために、操縦室の操縦システムは基本的に同じ物が使われており、いずれも2人のみで操縦できるため、意図してこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと考えられている。
また、実行犯のリーダー、モハメド・アタをはじめとする一部のハイジャック犯たちは、アメリカ合衆国内にある民間の航空学校(ホフマン飛行機学校[20])で小型機の自家用操縦免許を取得した後に、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている。
これら4機がいずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛行する便であったのは、長距離便のために燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者もいる。
なお、ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している。
アメリカン航空11便
アメリカン航空のボーイング767-200ER (N334AA)
アメリカン航空のボーイング767-200ER (N334AA)
アメリカン航空11便の飛行経路
ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便(AA011;ボーイング767-200ER型機・機体記号N334AA)は、乗客81人(日本人1人を含む)・乗員11人を乗せ、午前8時00分頃にローガン国際空港を離陸し、ロサンゼルス国際空港に向かった。
その後、11便は午前8時14分頃に始められたハイジャックにより、コックピットを乗っ取られた。
11便は午前8時27分に進路を南向きに変え、午前8時46分にニューヨーク・ロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンター・ツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上した。
角度、速度ともに浅い離着陸時の事故と違い、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。
11便がWTC北棟に衝突する瞬間は、ニューヨーク市消防局Ladder Companyの取材をしていたフランスの映像作家、ノーデ兄弟(英語版)によって撮影されていた。
また、ホームビデオや定点カメラに写り込んだ映像も存在する。
ユナイテッド航空175便
ユナイテッド航空のボーイング767-200 (N612UA)
ユナイテッド航空のボーイング767-200 (N612UA)
ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便(UA175;ボーイング767-200ER型機・機体記号N612UA)は、乗客56人・乗員9人を乗せ、午前8時14分にローガン国際空港を離陸し(アメリカン航空11便でのハイジャック発生とほぼ同時)、ロサンゼルス国際空港に向かった。
午前8時42分頃、UA175便のパイロットは離陸直後に耳にした不審な内容の無線(ハイジャックされたアメリカン航空11便からの無線だった)について管制官に報告したが、それから午前8時46分までの間にUA175便もハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。
その後、UA175便は午前8時58分にニューヨークへ進路を変え、午前9時03分にWTC・ツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上した。
南棟では北棟の爆発を受けて多くの人が避難を開始していたため、人的被害は北棟よりも少ないが、先に突入を受けた北棟より早く南棟が崩壊している。
11便とは異なり、175便の突入時には既に多くの人に事態が認識されていたことから、突入の瞬間の映像や写真が多数記録されている。
なお、105階にいたエーオン副社長のケビン・コスグローブ(南棟の崩壊時に死亡)が、南棟が崩壊する瞬間まで911番へ電話で状況を伝えていた音声が録音されており、この録音はザカリアス・ムサウイの裁判において証拠として用いられた。
アメリカン航空77便
アメリカン航空のボーイング757-200
アメリカン航空のボーイング757-200
ワシントンD.C.(ダレス国際空港)発ロサンゼルス(ロサンゼルス国際空港)行きアメリカン航空77便(AA077;ボーイング757-200:機体記号N644AA)は、乗客58人・乗員6人を乗せて、午前8時20分に出発した。
午前8時50分頃までにハイジャックされコックピットを乗っ取られた。
直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。
最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、その後通信不能となった。
そして午前9時38分、バージニア州アーリントンにあるアメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上した。
激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録されており、また付近を通行中の多くのドライバーや歩行者によって、機体が降下し激突する瞬間が目撃された。
防犯カメラなどの映像によると、機体は水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突していたが、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。
ユナイテッド航空93便
ユナイテッド航空のボーイング757-200 (N591UA)
ユナイテッド航空のボーイング757-200 (N591UA)
ニューアーク(ニューアーク空港)発サンフランシスコ(サンフランシスコ国際空港)行きユナイテッド航空93便(UA093;ボーイング757-200、機体記号N591UA)は、午前8時42分、乗客37人(日本人1人を含む)(乗客37人中4人はテロリスト)・乗員7人を乗せ、滑走路の混雑で30分遅延で出発した。
乗客の機内電話からの通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。
ワシントンD.C.へ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。
午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。
午前10時03分、93便は490ノット(563マイル毎時 (906 km/h))の速度でペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィル(ワシントンD.C.から北西240キロの場所)に墜落した。
離着陸時の速度の倍以上の高速で地上に衝突したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。
なお、地震計のデータから墜落の時刻を午前10時06分と公式記録と異なる報告がなされたが、後にこの時刻を算出した地震学者本人により撤回されている。
乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に「Let’s Roll.(さあやろうぜ・よし、皆かかれ)」を合図にしたといわれている。
この「Let’s Roll」は、9・11事件以降のアフガニスタンでの「報復戦争」において一種のスローガンとして用いられた。
9・11事件の調査委員会は乗客は操縦室内に進入できなかったと結論づけているが、一部の遺族はCVR音声に乗客が操縦室に進入した証拠が記録されていると主張している。
なお、離陸からハイジャック、墜落までの乗員乗客の行動を元にした映画『ユナイテッド93』が2006年に公開された。 ☆ (T.Koga)長崎市の三山不動産
私たちにお任せください!
三山不動産は、不動産の売買仲介、賃貸仲介、不動産の管理、家賃保証事業、信託受益権の売買仲介、新築分譲マンションの販売代理に至るまで不動産事業を幅広く営んでおります。
弊社のスタッフは不動産に関する様々な知識を習熟し、最良な不動産サービスを追求することで、お客様にとって存在意義のある会社を目指しております。また、良き企業人として法令と社会規範を遵守し、全社員が高い倫理意識を持って業務に取り組むことで、企業としての責任を全うし地域経済や社会に役立つ活動を成し遂げていくことが三山不動産の誇りです。
不動産事業を通じて質の高いサービスを提供する事により、社会に貢献し常に進化と成長を続ける企業であること。
人々の暮らしのあり方を真摯にみつめ、これからも前進し続けることが私たちの使命です。