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初夢 2.Jan.2017

初夢の歴史的変遷。
聖徳太子の時代から夢殿なんてありますが、その当時は夢は誰でも見るものではなく、限られた人が神仏によって与えられるものだったようです。
それがだんだん誰でも見るモノに、規制緩和?オープン化?されました。( ^-^ )。
初夢とは一般的に年の初めに見る夢を言うわけですが、今分かっている文献で最初に初夢が出てくるのが12世紀末頃の鎌倉時代に西行法師が作った「山家集」で、冒頭に節分の次の日つまり立春の朝方にかけて見る夢が初夢だとした和歌が載っている。
だから、当時は節分の夜から立春の朝にかけて見る夢を言ったのだろう。
その後、江戸時代の文献では、
(1)大晦日の夜から元日の朝かけて見る夢
(2)正月元日の夜に見る夢
(3)正月2日の夜に見る夢
と三説がみられる。
西行法師の頃の考え方からすると、立春が新年の始まりだったのが、江戸時代には正月を年の初めと考えるように変わっていたのだから、初めは(1)の大晦日からの年越し説に引き継がれたはずである。
しかし、31日から1日朝にかけては借金回収に走り回ったり、借金取りから逃げ回ったり、その他正月準備、あるいは鐘撞や初詣で忙しく徹夜する場合が多くなり、それで(2)の元日の夜になったと言われている。
今でも大晦日の夜紅白歌合戦を見て、行く年来る年やカウントダウンライブを見て、新春バラエティや映画を見たりでテレビを見つづけたり、初詣や初日の出を見に出かけたりで寝ない人が多い。
なんとなく納得ですね。
さらに元日は諸事の仕事始めで忙しいから、落ち着いて見たいものだと(3)の2日夜に移行したらしい(この理由はちょっと説得力弱い)。
また、2日の午後に「お宝、お宝」と言って宝船の絵を売りに来て、それを買って枕の下に敷いて寝るといい初夢を見られるという習慣が広まり、初夢も2日夜になったという説もある。
こちらは説得力ある。
ある新ビジネスが生活習慣まで変えたという例で、今で言うとバレンタインデーみたいな話ですね。
江戸時代中期以降には(3)の1月2日の夜が一般的になっていたようです。
江戸時代の川柳に『元日は夢とほうきにようはなし』というのがあり、これも2日説の根拠のようです(斎賀秀夫氏)。
おじさん思うに(現代風解釈)新しい年になって初めてみる夢だから1月1日に見る夢が妥当なのでしょうが、そうすると大晦日のカウントダウンの後の0時から朝までと1月1日の夜の24時までが範囲なわけです。
それは連続性が無く妙な感じだし、大晦日は徹夜が多いからと1月1日の夜に見たのを初夢とすると、それは1月2日にまたがってしまう。
どっちで見たかわからんわね。
宵っ張りが多い今は寝付くのは24時を超え2日になっているので、2日に見たのが初夢だと言う説が多いわけ??屁理屈気味ですが( ^o^ )。
さて、現在では宝船売りの風習も廃れたので、おじさんは(2)の元日の夜に見る夢説を支持したい。
昔からの我日本農耕民族のアナログ感覚では、1月1日の朝の初日の出から次の朝までが元日という感覚ですよね。
だから元日の夜、つまりデジタル的、暦的には、1月1日の夜から2日の朝にかけて見るのが初夢とするのが妥当なところかもね。
後で調べた広辞苑、大辞林によると、「初夢」とは「元日の夜見る夢、また正月2日の夜に見る夢」とあります。
これが現実的なのでしょうが、一寸ズルイ気も。
もっとひどい(いや几帳面な?)のには(4)1月1日から3日までに見た最初の夢という説まである。
2日の夜は3日にも掛かるからね( ^0^ )
皆さんはどれを支持しますか? ☆(Koga)