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こどもの日 5.May.2017

なぜ5月5日が端午の節句と言われているのか?
節句とは、季節の節目であり、 江戸幕府が祝日として定めたのが起源です。
最初は、午の月(=5月)の、端(=最初)の午の日を端午としていました。
それが後に、 「午(ご)=五(ご)」となることや、他の節句と同様に月と日が奇数の数字になることから、 5月5日を端午の節句とするようになりました。
今では「端午の節句=こどもの日」というイメージがあるかもしれませんが、 元からあった5月5日の端午の節句が、後に国民の祝日として「こどもの日」と制定されたのです。
1948年に、 「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」 として定められました。
昔は端午を象徴する菖蒲が“剣”の形に似ていることや、 「菖蒲」が「尚武(武道を重んじること)」と同じ読みであることから、 当初、端午の節句は男の子を祝う日だったのです。
しかし、今ではこどもの日として、 男の子だけではなく女の子も一緒になって祝うのが一般的になりました。
鎧や兜をかざるのは、鎧や兜は、身体を守ってくれるので、 「災いから身を守る」という意味合いで飾られています。
由来としては、 武家社会にて、神社に鎧や兜を奉納して安全を祈願した風習が元となっており、 庶民が武家の真似をして端午の節句に鎧や兜を飾るようになったことからこ
の風習が広まりました。
また、五月人形は童話で有名な『金太郎』、坂田金時がモデルとなっており、 金太郎のように健やかにこどもが育つことを祈願して飾られるようになったのです。
鯉のぼりを披露するのは、起源は中国にあり、 竜門という滝を多くの魚が登ろうとしたところ、鯉だけが登り切り竜になったことから、 鯉の滝登りが立身出世として象徴となりました。
今でもよく使われる「登竜門」という言葉はまさにここから来ています。
そして、こいのぼりの風習が広まったのは江戸時代で、 裕福ながらも地位が低かった商人が武士に対抗し、 中国の「鯉の滝登り」になぞらえて吹流しと一緒に鯉の絵を飾ったこ とから始まったとされています。 ☆(Koga)